『象牙』の歴史や地域情報

【象牙】は、世界でも最も古くから原材料として利用されてきました。

《日本国外》
実物が残っている物で最も古いのは、ヨーロッパの旧石器時代の遺物として、マンモスの牙に動物や人間の像を刻み込み、投槍のような道具を制作していた事例が多くあります。

そののち、紀元前5世紀になると、パルテノン神殿に飾る目的で古代ギリシャの彫刻家であるペイディアスが、アテーナー像を【象牙】で制作しています。
そしてイスラム圏では、イスラムの美術の複雑な文様などを彫るのに【象牙】が適しているうえに、インドとのアクセスのし易さにより、多数の象牙製品が作られました。

現代になると、ビリヤードの球やピアノの鍵としても【象牙】が使用されていましたが、乱獲による【象牙】の減少と価格の高騰により、【象牙】に代わる原材料として、セルロイドが19世紀に入った頃に発明されました。

《日本国内》
日本で一番古い象牙製品は、工芸品である「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」が正倉院の宝物として残されており、この工芸品が作られた当時は、鼈甲(べっこう)や珊瑚(さんご)と共に珍重されていたことが解ります。
しかし、【象牙】工芸品はしばらくの間は姿を消しており、その後鎌倉・室町時代に中国や東南アジアから輸入された記録があるそうです。

当時に記録された『室町殿行幸御飾記』によると、将軍家だった足利家は様々な【象牙】製品を所有していて、
・棚や卓 ・筆や筆刀 ・掛軸の軸や三味線の撥
・茶道具の茶杓や茶入の蓋(牙蓋)
なかでも、茶入と牙蓋のバランスが重視され、【象牙】の傷や古さが逆に評価されることもありました。