『武具』の歴史や地域情報

日本の【武具】には、時代劇でも知られている物もあり、それにも歴史があります。

《十手》(じゅって)
・江戸時代に陳元贇(または、筆架叉)が日本に伝えたという文献が存在します が、室町時代中期ごろに十手術と呼ばれる捕縛術が登場しています。また、室町時代後期~戦国時代にかけて存在した、兜割という刀のない鉤を設けた刀状の捕具・武具が登場し、その系譜を継いで十手術とする見解もあります。

《軍配団扇》(ぐんばいうちわ)
・室町時代末期以降に、その戦の大将が采配を持って兵士の行動の支持を行なっていましたが、室町期に入り集団戦術が頻繁に使用されるようになると、団扇に方角や方位、十二支や陰陽、天文や八卦、二十八宿や梵字が箔押しされた物が好んで用いられ、武将の肖像にも多く描かれました。
当時の軍配者にとっては、勝敗が自身や一族のその後の運命を決定する事象であり、日取りや方角などの吉凶を占い、天文により未来を予測することは、軍配者として大事な役割でもありました。

《鐙》(あぶみ)
・鐙が登場するまでは、乗馬をしながら戦闘行為を行なうのは特殊な技能が必要となり、幼少の頃からの鍛錬が必要でした。
鐙のルーツは、西晋時代の中国もしくは満州であり、確認可能な最古の物は各々302年と322年に埋葬された鮮卑と東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、実物として最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品であります。そして5世紀には鐙が日本でも使用されるようになりました。
など、江戸時代までに中国などから、さまざまな【武具】の元なる物が日本に持ち込まれていました。