『漆器、蒔絵(まきえ)』の歴史や地域情報

日本での【漆器】は、縄文時代から現在に至るうえでも、日常生活や歴史的文化財として、日本人には切っても切れない物です。
東北から沖縄まで、その地方の文化や地元産業としても【漆器】はとても親しまれており、またデザインなどの意匠を凝らしたもので、人々を楽しませてきました。
そしてウルシの木から漆の樹液を採取することを、「漆掻き」「漆を掻く」と言います。

日本での【蒔絵】の最古の資料といえるのが、奈良の正倉院の宝物である、「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうからたち)」の鞘にある、「末金鏤作(まっきんるさく)」とされています。
これが【蒔絵】の起源として認められるまでには、多くの年月が掛かり、
・1878年 黒川真頼は「金銀鈿荘唐大刀」は渡来ものであるが、「末金鏤」は「平塵」であって蒔絵ではないとされる。
・1932年 吉野富雄は献物帳「国家珍宝帳」を調べ、「末金鏤」と略さず「末金鏤作」と用いるが正しいとした。
・1953~1955年 正倉院の事務所による、「金銀鈿荘唐大刀」の調査が実施される。
・2009~2010年 正倉院事務所により科学的な調査研究が実施され、研出蒔絵であることが確認される。
この科学的調査により、最古の蒔絵資料と認められました。