『屏風(びょうぶ)』の歴史や地域情報

【屏風】の歴史は古く、漢時代の中国ではすでに風よけの道具として存在していました。その後の魏や晋、南北朝時代に【屏風】は、皇帝や王族の贅沢な装飾品として用いられるようになりました。
そして西暦686年に朝鮮半島に当時存在していた、新羅という国から日本へ【屏風】が献上されました。これが日本で最も古い【屏風】と言われています。

また現在でも残っている【屏風】としては、奈良県の正倉院に保管されている『鳥毛立女屏風』があります。
そして平安時代の日本での【屏風】の利用方法は、主に寝殿造での間仕切りとして用いられ、貴族などの邸宅の調度品として流行しました。
その後、建物の建築様式が寝殿造から書院造と変化すると、【屏風】は実用性よりも、空間を演出する視覚効果を持つことを重視したものと変化しました。
そして室町時代に入ると、現在の【屏風絵】の形態となり、近世の金碧障屛画へと進化をしました。

中世になると【屏風】は輸出品としても珍重されるようになり、また外国に対しての贈答品としても使用されました。
なかでも、永享5年(西暦1433年)に遣明船の朝貢品予算リストである「渡唐御荷物色々御要脚」には、「御屏風 参双 代百五貫文」と記され、天文10年(西暦1541年)に大内義隆が狩野元信が発注した記録では、「一双分代。三十五貫文」と記されています。

そののち、安土桃山から江戸時代にかけて、贅沢な金地を使用したきらびやかな【屏風】が作られるようになりました。