『金工芸、金工品』の歴史や地域情報

日本に於ける【金工芸(純金工芸)】の歴史で、最も古く実物が存在しているのは、福岡県志賀島にて発見され、現在は国宝に指定されている、純金製の『漢委奴国王印』です。

また古墳時代には、
・奈良県東大寺山古墳より出土した、『中平』銘鉄剣。
・埼玉県稲荷山古墳出土した、『辛亥』銘鉄剣。
には、鉄地に線を彫りこんで金線を埋め込んだ、『金象嵌』がありました。

しかし奈良時代までの日本では『金』は産出されておらず、朝鮮半島の新羅や高句麗からの輸入に依存していましたが、749年に奥州(今の東北地方)にて砂金が発見され、日本でも『金』の産出が行われ、新羅などに逆に輸出するようになり、平安時代後期になると、『金』の産出による財力により、現在の岩手県平泉が平安京に次いで、日本第二の都市として栄え、『中尊寺金色堂』も建立され、このお堂のことを『マルコ・ポーロ』が『東方見聞録』の中で、『黄金の国ジパング』として紹介したモデルと考えられます。

日本の【金工品】の歴史にて、青銅器と鉄器が伝来したのは5世紀ごろであり、同時に伝来したため日本では青銅器時代を経ずに鉄器時代になりました。
日本でもたたら製鉄などの製鉄技術が発達し、人々の作業効率は飛躍的に上昇いたしました。