館林 源右衛門

 源右衛門窯は、1753年肥前有田郷・黒牟田皿山の是米木(ぜめき)に創業した有田焼の窯元です。250年近く受け継がれている作陶の技術から酒井田柿右衛門・今泉今右衛門と並び有田焼の三衛門の一つとして有名です。鮮やかな色使い …

清水 多嘉示

清水多嘉示は明治~昭和にかけて生きた長野県出身の戦後の日本彫刻会をリードした彫刻家の一人です。 1897年に長野県の諏訪郡に生まれました。1915年に旧制諏訪中学を健康上の理由で中退し、代用教員となりますが清水多嘉示氏は …

内藤 伸

内藤伸は(号・山上居)は島根県出身の松江市名誉市民の日本の彫刻家です。 明治15年に島根県飯石郡吉田村に生まれました。幼少期より松江市の商家で養われていましたが、成長するにつれ彫刻に興味を持ち自分でも彫刻を作りたいと思い …

笹倉 鉄平

 笹倉鉄平は、1954年生まれ兵庫県出身の画家です。多様な光の表現を得意とし、海外をモチーフにした作品でありながらも、どこか懐かしい気持ちを抱かせてくれる温かみのある作品が特徴です。  武蔵野美術大学商業デザイン科を卒業 …

加藤 十右衛門

加藤十右衛門家は、美濃太平の陶祖加藤景豊の一派で、慶長20年(1615)頃、笠原へ移った笠原加藤を祖とする。 昭和15年岐阜県美濃の山奥大萱に八坂入彦命の御陵にちなんで八坂窯うぃ開き、美濃陶器・伊賀焼などの古作に学んだ作 …

赤地 友哉

本名・赤地外次。 金沢の檜物師・赤地多三郎の三男として生まれます。塗師の新保幸次郎に師事して髤漆をはじめます。 22歳で上京、2年後には独立して、京橋や日本橋で茶器などを制作して生計を立てていました。また、植松包美のもと …

橋本 明治

島根県浜田市に生まれます。東京美術学校日本画科卒業後、松岡映丘に師事します。 1940から1950年の10年間、法隆寺金剛壁画模写に従事します。戦後は日展を中心に活躍します。晩年には日展常務理事を務めました。 日本美人や …

三岸 節子

三岸 節子(みぎし せつこ 旧姓吉田) 1905年1月3日 ~1999年4月18日、日本の女性洋画家。新制作協会会員でもある。尾張物工場を営む家庭に生まれたが、不況のあおりで工場は倒産してしまう。このとき、以前から興味を …

原 清

 原清は、1936年生まれ島根県斐川町出身の陶芸家です。翡翠のような発色が特徴の「「翠磁すいじ」や黒釉や茶釉などで動植物模様を描く作品を作ります。1954年人間国宝の陶芸家「石黒宗麿」の内弟子となり、のちに同じく人間国宝 …

田村 金星

 田村金星は、1887年石川県松任生まれの陶芸家です。九谷焼の作品を作り、細字の毛筆で小さな文字を書き入れた作品を手がけます。明治から昭和にかけて九谷細字で活躍していた陶窯田村の初代「小田清山」に師事し、師の得意とした技 …

高沢 圭一

 高沢圭一は、1914年群馬県生まれの画家です。1936年に日大芸術学部を中退し、翌年陸軍上海報道部に勤務します。1939年の聖戦美術展に出品した100号の絵画「突撃路」が、朝日新聞社賞を受賞。この事をきっかけに海外で成 …

横山 一夢

 横山一夢は、1911年富山県井波町生まれの木彫工芸家です。本名は善作といいます。出身の井波町が木彫工芸で有名な町であり、幼い頃から木彫作品に触れる環境で育ちました。名門の家に生まれ、父から直接木彫りの技術を学び木彫製作 …

玉川堂

 玉川堂は、新潟県にある金属加工業者の一つです。2016年に創業200年となる歴史ある老舗企業です。一枚の銅板を鎚で打ち起こし製造する「鎚起銅器ついきどうき」という技術を使い、茶器や花瓶などを作ります。銅に様々な色を着色 …

中田 一於

 中田一於は、1949年生まれ石川県小松市出身の陶芸家です。同じ九谷焼の陶芸家であり人間国宝にも認定されている三代徳田八十吉に師事に作陶を学びました。中田一於の得意とする技法に「釉裏銀彩ゆうりぎんさい」というものがありま …

銀瓶

秦蔵六(初代-六代)

秦蔵六は1823年~現代まで六代続く、京都出身の鋳金(ちゅうきん)、金工(きんこう)家である。 初代秦蔵六は、二代龍文堂の元で鋳金技術を学び、その後に独立。 以来、京都の名工として、青銅器や鉄瓶、錫、銀を使った工芸品まで …

黄君壁

黄君壁(こうくんぺき)は1899年、中国広東省広州出身の中国画家、書家。 幼少時代より、絵画に興味を持ち、後に美術学校で中国画、洋画の研究を行いました。卒業後は李瑶屏に師事。 黄君壁(こうくんぺき)は人物画、花鳥画など様 …

見附 正康

見附正康は、1975年石川県加賀市生まれの九谷焼を代表する近代陶芸作家です。 石川県九谷焼技術研修所卒業後、九谷焼の伝統技術である赤絵細描(あかえさいびょう)を現代に甦らせたと言われる名工『福島武山』に師事。 外弟子とし …

清水六兵衛

清水六兵衛は江戸時代中期から代々続く清水焼陶工の名前です。 初代は1738年摂津国東五百住村(現、高槻市)の辺りに生まれたとされ幼名は古藤栗太郎。寛延年間に京へ出て清水焼の海老屋清兵衛に師事を受け盟和8年に独立し五条坂建 …

野々内 良樹

野々内 良樹(ののうちよしき)は,1930年生まれの京都府出身の日本画家である。 父は花鳥画を得意とする野々内 保太郎(1902-1985)であり、良樹も父の花鳥画を描く作風が類似している事から父に大きな影響を受けたと思 …

藤原 和

人間国宝・藤原啓を祖父に持ち、同じく人間国宝・藤原雄を父に持つ、備前焼藤原家の三代目。 亡き祖父・父が創り上げた藤原備前の「単純・明快・豪放」の理念をしっかりと受け継いでいます。伝統を守る一方で、自分なりの備前の確立を目 …

金森 映井智

本名・金森榮一 明治・大正・昭和・平成と4つの時代で活躍した金工・彫金作家です。 銅器の町、富山県高岡に生まれ、学生時代に金工の知識を習得。卒業後は、彫刻家・内島市平に師事します。 日展・日本伝統工芸展を中心に活躍。時代 …

篠原 傑

本名同じ。父・篠原如雪の長男として生まれ、父に師事して漆芸の道に進みます。「木彫彩漆」の技法を親子で用いて、父子展を開催しました。 父の亡き後も工房を受け継ぎ、個展・グループ展を各地で開催します。 棗や香合などの作品のほ …

篠原 如雪

本名・篠原太吉 14歳で漆芸作家の道へ進み、香川県高松市に工房を構えます。 彫漆をはじめ、棗・香合などの作品が多く、立体感のある昆虫や草花を施した作品は美術品として大変人気があります。 彫漆から木彫へ転向しましすが、木彫 …

鯉江 良二

鯉江良二は愛知県常滑市出身の陶芸作家です。 15歳のときに、アルバイト作業中に右手指二本の第一関節を失います。「ハンディを背負ったことが、ぼくの今の底力になっている」と後に本人は語っています。 高校卒業後、日本タイルブロ …

村瀬 治兵衛

村瀬治兵衛は愛知県名古屋市生まれの木地師、漆師である。 初代から現在の三代まで続いており、木地師として木材選び、素地づくりから塗師の仕事である漆塗までを全工程を一貫して漆芸作品を制作している。 村瀬治兵衛といえば特に根来 …

藤原 啓

藤原 啓は、1899年岡山県備前市生まれの陶芸家です。息子の藤原雄(長男)、藤原敬介(次男)も陶芸家で藤原雄は人間国宝に認定されています。 幼い頃は文才に富み、東京の出版社博文館が手がける文学世界に応募し、その短編が一等 …

坂倉 新兵衛

坂倉 新兵衛は代々続く、萩焼の一家です。 初代は、文禄・慶長の役(1592~1598)の際、日本に招致された朝鮮王朝の陶工・李勺光になります。 当代は15代になり、萩焼の名門・深川窯を受け継ぎ、伝統を守り続けています。 …

坂 高麗左衛門

山口県萩市に今から300年以上前の寛永の時代より代々受け継がれている、「萩焼の祖」と言われる一家です。 2004年に12代坂高麗左衛門が突然の事故死により、以降2011年までの7年の間、坂高麗左衛門は空位になります。 2 …

金谷 五郎三郎

金谷五郎三郎は京都で代々続く、金工作家です。 当代は16代になります。先代の15代も健在ですが、2015年に長男・茂是(しげゆき)に譲ります。 金谷家で守り伝えられてきた着色法「五郎三色」(非銅色・黄銅色)の技法は代々受 …

朝倉 文夫

 朝倉文夫は、1883年大分県生まれの彫刻家です。大分県大野郡上井田村の村長であった渡辺要蔵の三男として生まれました。11人兄弟の5番目の子として生まれ10歳の時に朝倉種彦の養子となります。その後、1902年に彫刻家とし …

片岡 球子

 片岡球子は、1905年北海道札幌市生まれの日本画家で、昭和から平成にかけて活躍しました。  女子美術専門学校を卒業後は、小学校の教諭を務めました。両親から画家志望を反対され勘当されながらも画業を続けました。帝展では3度 …

安田 靫彦

安田靫彦は、1884年東京府出身の大正から昭和にかけて活躍した日本画家です。同じく日本画家として活躍していた前田青邨と並び歴史画の大家であり、法隆寺金堂壁画の模写を行った際には青邨と共同で携わりました。江戸時代後期に活躍 …

小倉 遊亀

 小倉遊亀は、1895年生まれ滋賀県大津市出身の日本画家です。奈良女子高等師範学校を卒業後、女子高で国文学を教えていました。1920年からは日本画家の「安田靫彦」に師事し絵画を学びます。1926年の院展にて入選後、193 …

酒呑

金重 晃介

金重晃介氏は国の重要無形文化財の金重陶陽氏の三男として1943年に岡山県備前市で生まれました。1970年に東京藝術大学大学院彫刻科を修了し、その後、関東にて一時期、前衛グループ展等に参加するなど自由な作陶を展開しました。 …

花瓶

市野 雅彦

市野雅彦氏は師を二人持っています。1人は市野雅彦氏の父で丹波焼きの名工の市野信水氏です。もう一人は広島は竹原の名工、今井政之氏です。二人の師に作陶を学び現在の大雅窯を築き上げました。市野雅彦氏は「伝承を継承しながらも、自 …

花生

古川 隆久

古川隆久氏は益子焼き陶芸家の一人です。 1940年に東京に生まれ1964年の古川隆久氏が24歳の時に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業します。その後、岐阜県陶磁器試験所に勤務をされました。 1966年、古川隆久氏、26歳の …

加藤 忠三朗

名古屋で代々尾張藩釜師を務めた加藤家。 当代は13代になりますが、襲名して代を譲った父・12代も健在で、制作を行っています。 12代は釜師としては、父・11代に師事しますが、金工では「茶の湯の釜」の人間国宝・角谷一圭の指 …

岡部 嶺男

岡部嶺男・旧姓:加藤 加藤唐九郎の長男として、瀬戸焼の産地愛知県瀬戸市に産まれます。 窯道具製造業を営み、特に土に詳しい祖父・桑次郎から作陶について基礎から多くを学びます。少年時代から自然と作陶の道を志し、陶器の制作をし …

富本 憲吉

本名同じ。 奈良県に生まれる。建築装飾家を目指して東京美術学校図案科に入学、在学中にはロンドンへ留学しました。 海外留学経験もあり、語学は堪能で、東京に滞留していた「バーナード・リーチ」と親交を結び、リーチの通訳として6 …

ゲルト・クナッパー

 ゲルト・クナッパーは、1943年生まれ ドイツ出身の陶芸家・造形作家です。  彫刻家のアシスタントとしてニューヨークで勤務した後アラスカへと移り、ネイティブインディアンの伝統工芸工房に努めます。その後加藤唐九郎に会いに …

中村 翠嵐

 中村翠嵐は、京都府出身の陶芸家です。中国南部発祥の「交趾焼」の一人者として有名です。  初代翠嵐の息子として生まれた2代中村翠嵐(本名:正機)は、陶磁器上絵付業を営んでいた家業を継ぐ為、父に師事し作陶を学んでいきました …

角谷 一圭

茶の湯の釜コレクターとして知られた細見古香庵を親交を深め、芦屋・天命の名釜に触れることで、釜の補修にも携わることになります。そこから、茶の湯の釜の研究を深めていきます。 後に和銑(わずく)による釜の鋳造に取り組みます。先 …

皿

永楽 善五郎

永楽家は、奈良土風呂師の西村善五郎の家系で、10代善五郎から、陶芸に転じます。11代保全が紀州徳川家から「永楽」印を受け賜り、12代で改姓します。 千家十職の土風呂・焼物師として、17代を数えます。当代となる17代は16 …

板谷 波山

本名・板谷嘉七 茨城県に産まれます。東京美術学校彫刻科を卒業後、石川県立工業学校彫刻科の教師となりますが、彫刻科が廃止となり陶磁科を担当することになります。そこから窯業の研究を始めます。 教師を退職した後、陶芸家を志して …

伊勢崎 満

備前焼の細工に優れた伊勢崎陽山の長男。父に師事します。 備前の伝統を受け継ぎ、備前の陶土ならばこそ為し得る作品の制作に注力しました。 また、息子である伊勢崎家四兄弟、長男・卓、次男・紳、三男・創、四男・競も父に師事し、備 …

赤沢 露石

本名・赤沢正中 京都で代々続くコーチ焼の家に産まれます。祖父である2代目に師事。日本伝統工芸展をはじめ各展で入選を重ねます。また、個展も京都大丸をはじめ、近畿圏で多数開催。 作品の多くは、茶碗・水指・皆具などの茶陶を専ら …

青木 木米

京焼の陶芸家。 中国磁器の模倣に優れていて、幕末の三名工に数えられています。 現在より200年前の人物の為、詳しい情報は残っていません。 木米亡き後、贋物が多く出回り、真贋は困難を極めます。 真作が発見された時は歴史的発 …

大樋 長左衛門

大樋家は、楽一入に学んだ初代が江戸時代初期に金沢で開窯して以来続く、金沢の陶家です。 初代は寛永8(1631年)~当代11代まで、現在も続いています。 初代から続く大樋焼の伝統を受け継ぎつつ、歴代の襲名した長左衛門がその …

辻 清明

 辻 清明は、1927年東京生まれの陶芸家。陶芸家の辻輝子は姉にあたり妻、子、甥すべて陶芸家の道を進んでいます。  骨董好きだった父の影響で、幼い頃から骨董品に触れる生活を送っていました。学校へ行く事をおろそかにしてまで …

荒川 豊蔵

荒川 豊蔵・本名同じ 岐阜県多治見市に生まれます。陶芸の道へ入ったのは、京都の宮永東山窯で工場長を務めたことから始まります。そこで、北大路魯山人と出会います。その際に、神奈川県鎌倉市にある星岡(せいごう)窯へ招かれ、古陶 …

坪島 土平

本名・坪島一男 三重県のひろ廣永(ひろなが)窯で作陶をしていた陶芸家です。 生まれは大阪ですが、戦時中に三重県に疎開した関係から、川北半泥子に師事。陶芸の道に入ります。 半泥子の愛弟子としてその作陶精神を基礎にしながら、 …

小林 和作

小林和作は明治から昭和にかけて生きた日本の洋画家の一人です。 裕福な地主の家の7人兄弟の長男に生まれた小林和作は小学校を卒業すると画家になる事を目指し廃嫡を父に申し出ました。なかなか許しは出ませんでしたが遂に父もおれて共 …

浅井 忠

浅井忠は明治期を代表する洋画家の一人です。 佐倉藩の藩士・浅井常明の長男として生まれました。 佐倉藩の藩校「成徳書院」で四書五経などの儒教や武芸を学ぶ傍ら、13歳の頃から佐倉藩の南画家の黒沼槐山に花鳥画を学び「槐庭」の号 …

バーナード・リーチ

バーナード・リーチ氏はイギリス人の両親の間に香港で産声をあげました。 リーチ氏出産の際に母が死去してしまった為に日本の関西に住んでいた母方の祖父の家に引き取られました。リーチ氏の祖父は京都や滋賀で英語教師をしていました。 …

辻村 史郎

辻村史郎 本名同じ 奈良県生まれ。22歳より作陶を始めます。奈良市内で初の個展を開催し、その後京都たち吉にて合計5回の個展を開催します。 東名阪のギャラリーを中心に国内で多数の個展を開催しますが、海外からの人気も高く、ロ …

5代 早川尚古斎

早川尚古斎は、文化12(1815)年から、現在まで200年以上の歴史を持つ竹工芸作家です。 初代は福井県に生まれますが、竹工芸学ぶため京都へ出ます。それから大阪へ移ります。そこから4代までは大阪でしたが、空襲に遭い京都市 …

四代三浦 竹泉

三浦竹泉は、1800年代から続く京焼の窯元で、当代で五代となります。初代竹泉は、十代の頃に同じ京焼の窯元である高橋道八に弟子入りをしました。1883年には独立し五条坂に窯を築きます。窯を築いたあとも精力的に活動を続け、海 …